歴史ノート

『日本三代実録』より天安二年から仁和三年までの史実メモ

天安二年

天安二年十二月卅日

卅日丁巳、大祓、大儺、常儀の如かりき。

天安二年十二月廿九日

廿九日丙辰、 無位良岑朝臣親子 に従五位下を授けき。

天安二年十二月十九日

十九日丙午、名僧十口を内殿に屈せて、大般若経を転読せしめ、限るに八日を以てしき。 是の日、仏名懺悔の事を始め修しき。 凡そ毎年十二月二十九日に名僧三四人を内殿に延せ、仏名懺悔を始め修し、三日を限りて訖る。 他皆此れに効へ。

天安二年十二月十五日

十五日壬寅、公卿已下侍従已上を、諸山陵墓に分ち遣りて、荷前の幣を献りき。 是の日、天皇、建礼門前に御し給はず、大臣、事を行ひき。

天安二年十二月十四日

十四日辛丑、田邑山陵に陵戸四煙を充て奉りき。

天安二年十二月十三日

十三日庚子、地震りき。 公卿、外記候庁に於いて政を聴きき。 文徳天皇の崩じ給ひしより後、近衛陣の頭に於いて、弁官の申す政を聴きき。 今日始めて常儀に復す。 是の日、公卿、侍従所に於いて酒を飲み、五位以上の席に預りし者八十余人に太政官の厨家の綿…

天安二年十二月十日

十日丁酉、神祇官の奏せる御体の御卜、大臣之れを奏しき。 詔して、真原山陵を改めて、田邑山陵と為し給ひき。

天安二年十二月九日

九日丙申、詔して、十陵四墓を定めき。 年の終の荷前の幣を献るべし。 天智天皇の山階山陵 山城国宇治郡に在り、 春日宮御宇天皇の田原山陵 大和国添上郡に在り、 天宗高紹天皇の後田原山陵 大和国添上郡に在り、 贈太皇太后高野氏の大枝山陵 山城国乙訓郡に…

天安二年十二月八日

八日乙未、公卿、五月七日の贈皇后忌を省棄せんことを奏請して云ひけらく、 謹みて往事を検するに、後太上皇、徳崇く謙光りて国忌を存せず。 而るに独り皇后の忌日を留む。 之れを礼経に勘ふるに、義相配するに乖けり。 伏して請ふ、一ら旧典に准ひ、式て停…

天安二年十二月二日

二日己丑、前春宮職の印一枚を内裏に進めき。

天安二年十二月朔日

十二月戊子の朔、右仗の頭に於いて、親王已下侍従已上に酒を賜ひ、非侍従も亦預りき。 禄を賜ふこと各差有りき。

天安二年十一月廿七日

廿七日甲申、 大安寺の僧傳燈大法師位春耀 東大寺の僧傳燈大法師位安円 を以て、並びに内供奉十禅師と為しき。

天安二年十一月廿六日

廿六日癸未、 固美濃関使散位従五位下藤原朝臣直道 帰奏して契を奉りき。 諸衛厳を解きき。 故正三位源朝臣潔姫 に正一位を贈り、 従四位上行越中守源朝臣啓 を神楽岡の塚に遣りて、贈位を告げしめき。 潔姫は帝の外祖母なり。 左京職言ひけらく、 毎年、鍛…

天安二年十一月廿五日

廿五日壬午、内外に宣詔して云ひけらく、 元の中宮職を改めて、皇太后宮職と為すべし。 と。 散位従五位下橘朝臣休蔭 を以て侍従と為し、 従五位下安倍朝臣有道 を大監物と為し、 従四位下行兵部大輔兼越前権守藤原朝臣良仁 を中宮大夫と為し、 従五位上守右…

天安二年十一月廿四日

廿四日辛巳、 固伊勢関使散位従五位上藤原朝臣菅雄 帰奏して契を奉りき。

天安二年十一月廿一日

廿一日戊寅、 内舎人正七位上藤原朝臣宗行 佐伯宿禰春岑 紀朝臣良津 を遣り、勅符木契を齎して諸関の警めを解かしめき。 是の日、夜分けて、 固近江関使従五位上坂上大宿禰貞守 帰奏して契を奉りき。 正三位行中納言源朝臣定 を以て、兼右近衛大将と為しき。

天安二年十一月廿日

廿日丁丑、園韓神の祭を停じき。 此れより後の鎮魂新嘗等の諸祭、皆停止しき。 山城国司に詔して、警固を停ぜしめ給ひき。

天安二年十一月十七日

十七日甲戌、 大納言正三位兼行右近衛大将民部卿陸奥出羽按察使安倍朝臣安仁 重ねて疏を上りて曰ひけらく、 安仁、近く情款を瀝ぎ、伏して乾照を佇つ。 而るに還旨沖深にして未だ矜許を垂れ給はず。 魂影震迫して自ら厝く無し。 臣、耄年既に及び、慮るに散…

天安二年十一月十四日

十四日辛未、 従四位下藤原朝臣多可幾子 卒しき。 多可幾子は、 右大臣従二位良相 の第一女なり。 少くして雅操有り、文徳天皇の仁寿の初め、選ばれて掖庭に入り、俄して女御と為り、二年、正五位を授り、四年、爵を進められて従四位下と為りき。

天安二年十一月十三日

十三日庚午、太政官、今月七日の詔書を、京畿七道の諸国に頒下して曰ひけらく、 今詔旨を稽ふるに、天安二年十一月七日以前、内外の未だ解由を得ざる輩は、已言上と未言上とを論ぜず、承和の例に准ひて、其の身犯す所拘責すること莫かれ。 但し未言上は、後…

天安二年十一月十一日

十一日戊辰、 無位坂子女王 重子女王 に並びに従四位下を授けき。 是れ褰帳の女王なり。 凡そ、天皇、即位の日、王氏の女の容儀有る者二人を択びて、御帳を褰ぐる職に充て、因りて爵を賜ふ。 他皆此に効へ。 大納言正三位兼行右近衛大将民部卿陸奥出羽按察使…

天安二年十一月十日

十日丁卯、大原野の祭を停じき。

天安二年十一月九日

九日丙寅、地震りき。

天安二年十一月七日

七日甲子、天皇、大極殿に即位し給ひき。 時に年九歳。 詔して曰ひけらく、 明神と大八洲国処知す天皇が詔旨らまと宣り給ふ勅を、親王諸王諸臣百官人等、天の下の公民、衆聞し食さへと宣る。 掛けまくも畏き平安の宮に御宇しし倭根子天皇が宣り給ふ、此の天…

天安二年十一月五日

五日壬戌、 正三位行中納言源朝臣定 従四位下行左馬頭在原朝臣行平 を以て山階山陵使と為し、 参議左大弁従四位上兼行左衛門督伊予権守藤原朝臣氏宗 従四位上行中務大輔清原真人瀧雄 を柏原山陵使と為し、 大納言正三位兼行右近衛大将民部卿陸奥出羽按察使安…

天安二年十一月三日

三日庚申、平野、春日等の祭を停じき。

天安二年十一月朔日

十一月戊午の朔、 従四位下行越中権守房世王 内蔵頭従五位上兼行神大副中臣朝臣逸志 等を伊勢大神宮に遣りて、天皇の即位し給はんことを告げまつりき。 是の日、陰陽寮の進めし明年の暦を内侍に付けて奏しき。

天安二年十月卅日

卅日丁巳、建礼門前に大祓しき。 明日、伊勢大神宮の使を発せんとせしが為なり。

天安二年十月廿六日

廿六日癸丑、 従五位下行越前介良岑朝臣経世 を小納言と為し、 従五位下行相模介滋野朝臣安成 を権大外記と為して相模介故の如く、 周防権守従五位下藤原朝臣常行 を右近衛権少将と為して周防権守故の如く、 四品惟喬親王 を太宰帥と為しき。

天安二年十月廿三日

廿三日庚戌、 外従五位下行陰陽助兼陰陽権博士笠朝臣名高 を遣りて、真原山陵を鎮謝めまつりき。

天安二年十月廿二日

廿二日己酉、 日向国従五位上高智保神 宮古農神 等に従四位上、 従五位上都万神 江田神 霧嶋神 に並びに従四位下、 伊予国正六位上布都神 に従五位下を授けき。

天安二年十月十七日

十七日甲辰、便に広隆寺の五十の僧を東宮に請じ、限るに三日を以てして、大般若経を転読せしめき。 広隆寺の四十の僧、陵に近き寺の十の僧、御葬の明日より始めて四十九日に至るまで読経念仏す。 頻日請ふ処、即便是なり。 陵の辺にて三昧を修せし沙弥廿口を…

天安二年十月十六日

十六日癸卯、五十の僧を広隆寺に延せて文徳天皇七々日の御斎会を修し、公卿已下会集しき。 又分頭して使を陵に近き諸寺に遣り、転念の功徳を修しき。

天安二年十月八日

八日乙未、 散位従五位下内宗王 従五位下守左少弁丹墀真人貞岑 等を遣りて、伊勢斎内親王を迎へしめ、建礼門前に大祓して使を発しき。 是の日、夜、陰陽寮の漏刻の水を盛りし銅器、自ら鳴ること一声なりき。

天安二年十月七日

七日甲午、新に銅印一面を鋳て、讃岐国に賜ひき。 是より先、彼の国司言ひけらく、 所在銅印、久しく年代を経て文字刓れ滅えき と。 仍りて賜ひき。

天安二年十月二日

二日己丑、公卿、太政官曹司庁に就かざりき、承前の例、仗頭に於いて次侍従已上に飲を賜ふ。 是の日、停止に随ひき。 諒闇を以てなり。 鼓吹司、始めて鼓角を教習する声を発しき。 例なり。

天安二年十月朔日

冬十月戊子の朔、日蝕する有りき。 六衛府の陣に見直せし者に絹綿を賜ふ、各差有りき。

天安二年九月廿九日

廿九日丁亥、夜、流星有りて東南より西北に行き、星落ちし処声有りて雷の如かりき。

天安二年九月廿八日

廿八日丙戌、 散位従五位下時宗王 卒しき。

天安二年九月廿五日

廿五日癸未、 従五位下行中宮大進三統宿禰真浄 を亮と為し、 外従五位下行少進御船宿禰彦主 を大進と為し、 典薬頭従五位下兼行侍医当麻真人鴨継 を主殿頭と為して侍医故の如く、 大学頭従五位上兼行東宮学士豊階真人安人 を美濃権介と為して大学頭故の如く…

天安二年九月廿三日

廿三日辛巳、 散位従五位下源朝臣包 を中務少輔と為し、 中務少輔従五位下藤原朝臣忠宗 を侍従と為し、 備後守従五位下藤原朝臣有年 を近江介と為し、 従四位下行文章博士兼備前権守菅原朝臣是善 を播磨権守と為して文章博士故の如く、 従五位上守近衛少将兼…

天安二年九月廿二日

廿二日庚辰、地震りき。

天安二年九月廿日

廿日戊寅、 正六位上大中臣朝臣良人 を伊勢大神宮に遣りて、斎内親王の退出づることを告げまつりき。

天安二年九月十八日

十八日丙子、所司始めて御膳を進めき。

天安二年九月十六日

十六日甲戌、今上、公除し給ひ、百官吉服しき。 仍りて、朱雀門前に大祓しき。

天安二年九月十五日

十五日癸酉、 明経得業生正七位下苅田首安雄 大初位下葛井連善宗 並びに二階を進めき。 奉試及科せしを以てなり。

天安二年九月十四日

十四日壬申、大中臣の氏人を左右京、五畿七道に遣りて祓禊を修せしめき。 服を釈かんとするを以てなり。 参議従三位行春宮大夫平朝臣高棟 を以て権中納言と為し、 勘解由長官兼左近衛中将従四位下守右大弁行讃岐守藤原朝臣良縄 を参議と為し、 散位従五位下…

天安二年九月八日

八日丙寅、諸衛の陣兵、甲を脱ぎて常儀に従ひき。

天安二年九月七日

七日乙丑、 大学頭従五位上兼行東宮学士豊階真人安人 を遣りて、御葬に供りし群臣を存問ひ給ひき。 十の僧を陵に近き山寺に、四十の僧を広隆寺に安置き、合せて五十口、今日より始めて四十九日に至るまで、転経念仏せしめ、沙弥廿人を陵辺に安置き、昼夜結番…

天安二年九月六日

六日甲子、文徳天皇を真原の山陵に葬めまつりき。 送終の礼は皆倹約に従ひ、一ら仁明天皇の故事の如くしき。 但前例に変りたるは、只是れ、方相を作すのみなりき。